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チャンバラ合戦〜戦 IKUSA〜が生まれた経緯 序章

あゆみ チャンバラ合戦-戦IKUSA- チャンバラ合戦-戦IKUSA-の歴史 歴史 理事長

細々と総大将的なことをやらせて頂いております、NPO法人ゼロワン理事長米田です。 徒然なるままにNPO法人ゼロワンのこと、チャンバラ合戦〜戦 IKUSA〜のことを書き綴って参ろうと思いますので宜しくお願い致します。 さて、我々がメディア取材、友人知人、家族、途中からジョインした運営メンバーにいたるまで皆に必ず聞かれること。

 

それが 「チャンバラ合戦〜戦 IKUSA〜が生まれた経緯」です。
その時々で尺や内容のまとまりを考えて短く伝えるのですが、長いけれどもちゃんとした内容を、NPO法人ゼロワンの理事長をやらせて頂いている私の視点も踏まえてそろそろ綴ろうと思います。

 

ヒッチハイクで日本一周していて感じた事

ヒッチハイク

 

世界か日本か


日本地図と世界地図

 

日本一周しますと言うと必ず世界一周しないの?と聞く人がいます。
世界中をめぐってRPGのようなゲーム感覚で色んな所に行って色んな体験をしたいと思っていた自分は、それでも最初の一手に日本一周を選びました。

 

理由としては、「日本人は世界に出て自分の国の事を何も話せない」と聞いた事と実際に「自分自身も全然知らないから知りたいな」と思った所が大きな理由です。 世界に出たいというのはずっとある想いだからいつでもいける。その時に武器となる物を持っていたい。そんな事も思っていました。

 

太鼓岩

 

2009年4月15日から半年間、ヒッチハイクで47都道府県全てをまわって日本一周しました。その時にはもちろん日本の沢山の観光地を訪れたのですが、何とも悲しいかな、社会の授業で覚えた有名な街ですら訪れるとメインの商店街にシャッターが沢山降りている事も少なくありませんでした。

 

「有名な観光地として昔は栄えたんだよ」と地元の人に聞いても切なさがつのります。 時代の流れとはいえ、なんとかならないのかな、出来ないのかな。 日本の古き良きをもっと活かせないのかなと考えていました。

 

最初は面白く無かった観光地

点と点が結びついて線になり、線と線が面となる。。。 という話がありますが、最初飛び抜けて面白く無かった観光地があります。 それは、、、「お城・戦国歴史関係の場所」です。

 

鶴ヶ城

 

自分の学生時代の不勉強さもあって、歴史の解説を読んでも「ふんふん、なるほどなるほど……いや、わからん誰?これ何?戦国無双でこんなキャラおったかな?」というような状況。

 

とはいえ色んな場所で大きな観光地となっているのはお城が多く、目指しやすいから行っていたという感じです。 自分の地元が大阪城だったのに、豊臣秀吉の事も大阪城での出来事もほぼ知らず、、、教科書の数行〜1ページの情報では、観光地の説明を読んでも旅の疲れもあり全然頭に入りませんでした。 しかし、それでもせっかくお金払ってるし、ある意味これ以外やることないし、と何とか頭に入れていきました。
するとあら不思議、ある時、急に前のお城で見た武将の逸話や出来事と、新しく訪れたお城や史跡でのお話がリンクして爆発的に面白くなりはじめました! その瞬間、日本が一気に小さく感じられ、また今ほど交通機関も通信手段も発達していない時代の人たちの動きや考え、成果に思いを馳せると「すげー!」とか「この人はこんな場所でこの有名な人とこんな関わりがあったのか!」「あの時代にこんな事を考えてたか!」など次から次へと歴史の流れが見えてきます。

 

点と点が繋がった瞬間でした。 それと同時に、自分の経験から日本の子供たちとか同世代ってこういうの知らないよなぁ絶対。歴史好き以外は。。。なんてことを思っていました。

 

はじまりの3人

日本をまわった後は起業しました。

 

そんな中、とあるイベントで講師として呼ばれる事になります。

 

就活中の大学生を集めたイベントです。 普通の就職活動ではなく、変な生き方をしている人を見て自分の未来をもう一度考え直そうというイベント。
社会人3年やってヒッチハイクで日本まわって起業したら変だということで学生や一部社会人の方とふれあってきました。

 

その中で講師は自分以外にも複数いらっしゃって皆さん熱い思いや変な生き方をしている人がこっちにもあっちにも…笑 そこで知り合った方と意気投合し、飲みに行く事になりました。

 

ちょうどその頃、日本にも大阪にも政治・経済的に閉塞感がありました。 2010年、東日本大震災が起こる半年以上前くらい。元気が無い感じとでも言いましょうか。

 

「そこに風穴あけたいよなぁ!」と熱気ムンムンの男だけの夢や熱さが渦巻く対話。自分自身も旅の経験から、日本で出来る事、世界に出ていけることが色々あるんじゃないかと真剣に考え始めました。 安〜い居酒屋で語らう事、8000円分。。。戦の後の宴のように飲みまくり、、、アホでした。。。

 

宴だぁ!

 

その語らいから「大阪から世界に何か面白い事を発信して行こう!!」という流れになり、本気で面白くて大きな事をやるならもっと仲間がいるから次はそれぞれがこいつはいいよ!って人を呼んでまた語らおう!!という約束をしました。

 

その約束をしたのが私(米田)と小西紀至さん、吉川雄介さんの3人です。
全てはここから始まりました。 その約束通り次の語らいに集まった人数は6人。 そこでさらに熱い話をして、次の語らいに集まったのは10人。 本気でやるのだから、それぞれが案を持ってきて一度会議でブレストもしよう!となり、「池田町会館(地域の公民館)」を1日借りてやる事に。

 

チャンバラ合戦〜戦 IKUSA〜はそこで初めて生まれました。

 

どのような考えやアイデアからチャンバラが生まれたのか?

熱い話をして、想いもあるのは良いものの、じゃあ何をするのかというのが重要な所です。 多くのコミュニティや団体ではこの核となる内容が弱く、せっかく打ち立てた志も半ばで存続していく事が出来なくなってゆく傾向にあります。

 

「大阪から世界に何か面白い事を発信して行こう!!」 大きなことを言うのは簡単。

 

でもそれを実現するには途方も無い労力と想いと設計が必要となります。 会議の前に僕はあることを思いつきます。 そして見事にみなさんに楽しんでもらえるチャンバラ合戦〜戦 IKUSA〜が誕生するのですが、長くなるので続きは次の記事「第2章 考えるべきこと」にて。

 



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