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NPO法人ゼロワンこれまでの歴史 〜第1章〜 創立期編

NPO法人ゼロワン チャンバラ合戦-戦IKUSA- 大阪 歴史


皆様、こんにちは。NPO法人ゼロワン大阪副代表の瀬上です。

突然ですが、NPO法人ゼロワン(以下ゼロワン)はいつ発足したかご存知ですか?

これまで全国各地、時には海外で世界一平和な戦、“チャンバラ合戦-戦IKUSA-” (以下:チャンバラ)を開催し、総合戦数は300を超え、これまで参加して頂いた総侍数は、50,000人!!

こつこつと地道に、着実に活動をしてきたゼロワンですが、2018年10月で法人設立から5周年を迎えることになりました!

5th Anniversary Year!!!!!!!!!

これもひとえに、皆様のご愛顧、ご支援の賜物です。この場を借り、感謝申し上げます。

アニバーサリーイヤーを迎えるにあたり、チャンバラ合戦-戦IKUSA-がどのように生まれたのか、また、NPO法人ゼロワン(以下:ゼロワン)がどのように発展してきたのかを4章に分けて、これから皆様にご紹介していこうと思います。

第一章は、「チャンバラ合戦-戦IKUSA- 誕生秘話」

ゼロワンを立ち上げ、チャンバラ合戦-戦IKUSA-を発明し、現在も組織の中枢として支えてくれているメンバー。

左から順に。

西川隆士:大阪の天満を拠点とした、人気コーヒー店のオーナー。冷静沈着な頼れる存在。
篠田厚志:初代副理事長。そのルックスから宣材写真使用率No.1の年長者。
米田真介:理事長。熱い想いで人を魅了し、ゼロワン発起人の第一人者。
花見一也:戦のことを語らせると右に出るものはなし。刀を持って全国を飛び回る。
林 寛子:紅一点。現在は働くママでもあり、メンバーを影から支える存在。

こちらの5人に当時の話をインタビューしてきました。
新しいことが始まるワクワク感、今では想像できないような話を聞くことができましたので、お楽しみください!!

大阪から世界へ面白いことを発信しよう!

それでは皆さん、よろしくお願いします。
早速ですが、ゼロワンはいつ、どのようにして生まれたのですか?

NPO法人化してからは5年になるけれど、ゼロワン自体はもう少し遡って、2010年12月に立ち上げました。2010年の11月、偶然知り合った小西さん、吉川さんとこれからの人生や熱い想いをぶつけあって、「大阪をもっと盛り上げていきたいなぁ!」と、話し合ったのがきっかけ。そこから1か月後の12月に、それぞれが一緒に面白いことができそうな友人に声を掛け合って、キックオフミーティングを開きました。

そのキックオフで招集されたのが、篠田さん、花見さん、西川さんなんですね。



そう。真介くんの他、2名の発起人が「なんか面白いことしよう!」って言って、それぞれが一緒に面白いことができそうな社会人に声かけて、10人くらい集まって飲んだんよね。
社会人が飲み会の場で「面白いことしよう!」って言っても、社交辞令と言うか実際に企画に進むことは稀やと思うねんけど、そのときに集まったメンバーは、もともと面白いことするために集まってたから、なんていうか・・・ギラギラしてた。
だから、飲み会で意気投合してから、次回打合せの日程調整は早かったな。

そうそう。俺も米田に誘ってもらって参加したよ。本当に、めっちゃ盛り上がって、終了直前に、「一ヶ月後にミーティングすること」と「ミーティングにはどうしても巻き込みたい人を連れてくる」ということだけを決めて一旦解散することになったよね。


うん。あっという間に日程固まって、場所も西川くんが大阪の天満にある、「池田町公民館」っていうところを押さえてくれて、終わる頃には初めまして同士とは思われへんくらいに仲良くなってたのを覚えている。


そうでしたね。僕は、その当時、一番年齢が下だったので、人生の師となるような先輩方とともに仕事以外の事に打ち込めることに対してのワクワク感が1番でした!



 

 

 

 

 

(池田町会館の会議の様子)


皆さんのお話を聞いているだけでも、当時の高揚感が伝わってきてなんだか私までワクワクしてきました。笑
発起人の一人である米田さんは、当時どのような想いでメンバーを集ったんですか?

その当時、世間が元気が無い感じというか、日本にも大阪にも政治・経済的に閉塞感があったので、そこに風穴あけたいなと思ったのがきっかけかな。この熱いメンバーとなら面白いことができそう。大阪から世界に何か面白い事を発信して行こう!!と思っていました。


そうだったんですね。確かにお話を聞いていると、このメンバーなら何かできそうな勢いを感じますね。



大阪城でチャンバラを



他の皆さんはどんな想いをもって当時参加されていたんですか?また、次のミーティングではどういったことが話し合われたんですか?


私は、その話合いから参加したんだけど、その頃増えだしたインバウンドや国内の観光客が、まずは飛行機で大阪に来るけど、京都等の観光地への通り道になっているので、大阪で何かを!と言う話をしたのを覚えているかな。


何を目指していたのかと言うと難しいけど、「このメンバーでなら世の中の、目に見えない閉塞感みたいなものをぶち壊せるかも!?」っていう不思議な高揚感は確かにあったな。それが確信にかわったのは、「大阪を面白い街にしたい!」っていう目に見える目標ができたときかな。


そう!話し合っていくうちに、共通のキーワードだった「大阪を面白くしたい!」が「大阪を世界一おもろい街にしたい」という風になって、どんどん話が進んでいったよね。大阪版ミシュランを作ろうとか。他にも色んなアイデアが出たね。

「面白い街は祭りが楽しい!」「祭りが楽しいと人が集まる!」「つまり、誰もが楽しめる祭りのようなイベントがあれば!」って話がいろいろと繋がってきて、その中でもメンバーの一人の小西くんが「ラオウ100人育てたらおもろなるんちゃう?」っていうのが印象的で覚えている。そこから戦いの構想が生まれて、「チャンバラ」につながったような気がする。
※ラオウ・・・漫画「北斗の拳」登場人物。主人公の敵役。

あと、「大阪から世界に何か面白いことを発信していこう!」と考えたとき、「大阪」「日本」「世界」の3つのキーワードが僕の中で出てきて、これを元に発信するコンテンツは何が良いのか考えたかな。その結果、「大阪」からは『笑』。「日本」と「世界」からは『侍・武士』『コスプレ』などの文化だった。

大阪城でチャンバラしたらおもろいと思うんやけど。」の一言は、停滞した空気を一変させたよね。 カミナリに打たれたような衝撃で。そこから色んなアイデアや想いが面白いように出てきて、「500人対500人でチャンバラしたらおもろいことやってるなあ!大阪って。」ってなるよねとか。


あの時の衝撃は今でも覚えています。話し合いの中で出てきたワード「大阪城でチャンバラ」……えっ?!何それ?!本気なの?!ギャクなの?!って。笑よく分からないけど、このメンバーで何か1つの目標に向かって走り出したら楽しそう!!と感じたのを覚えています。


うん。「チャンバラ」というキーワードが出てから、わりと具体的なことは早かったよね。集まったメンバーに魅力を感じて、この仲間とならおもしろいことができそう!一緒に何かをしてみたいという気持ちが何よりも一番だった。

 

『手探りの第一回開催』

 

 

 

 

 

 

 

 

ミーティングが終わってから、第一回開催はいつ行われたのですか?


第一回開催は2011年7月。ミーティングから半年が経った頃で、参加者数は運営メンバー含めて39人。参加費は無料でした。



開催までは、どのように準備していったのですか?



とにかく一回やってみよう!とルール作り、物品探し、物品作りと本当に夢中になって準備していたよね。100円均一ショップでアイテムを買い込んだり、そこからアイテムのヒントを得たり。


開催に至るまではけっこう苦労したよね。いくら面白いことがあっても、みんなのワクワクを半年以上維持し続けるのはやっぱり難しいわけで、具体的なルール設定や武器選びとかはけっこう苦労してた気がする。 あと会場探しも大変やった。試しにやった場所で、的屋のおじさんにメッチャ怒られたの覚えてるわ。。。

いろいろ試して、少しずつ形になっていったよね。本番前に、自分たちだけでトライアルしてみて、これは・・おもろいぞ!と笑



うん。色んな刀(武器)を用意して戦ったけど、息が出来なくなるほど面白かった!その時の鳥肌は今でも思い出せる。イナズマが走ってこれは絶対いけるなと言語化できない感覚が全身に行き渡ったかな。

あれ面白すぎたよな。「これ考えた人マジで天才!」って正直思った。今でもあのときのチャンバラが一番震えた。


 

 

 

 


(第一回開催の様子)



そうなんですね。ルール作り以外にも色んな苦労があったんですね。開催当日はどんな感じだったんですか?


最初は水風船やビニール製の刀を使用していて、参加者と一緒に膨らましてもらって、和気あいあいと楽しく開催できた思い出があるよ。



本番は、大阪城公園の“太陽の広場”でやったけど、場所の確保が大変やったの覚えている。当時はのぼりとかなかったから、足で線引いて他のイベントから場所を奪われまいと必死やったなぁ。


僕は、第一回目はすべてにおいて新鮮で楽しかった。自分たちの生み出したコンテンツで人が満足してくれたことに僕個人は惚れ惚れしていました。



それ分かる。開催した時は真夏だったけど、しんどい。。という記憶がなくて。 楽しくて充実していて、もっと遊びたい!これは間違いない!!と確信して、とてもわくわくしてた。

すごいですね。お話を伺っていると、すごく準備に時間を費やしたり、苦労や大変だったことが沢山あるのに、それを吹き飛ばすくらいの充実感と期待があったんですね。

そうやね。みんな忘れてしまってるのは、その苦労が全部報われてるからやと思う。



『ゼロワンの誕生』

“ゼロワン”という名前は、この時に命名されたんですか。



最初のミーティングをしていた頃についたと思うよ。当時掲げた「大阪を世界一の都市にする」という想いから、「オンリー1、ナンバー1」を量産し、大きな「うねり」を生み出すプロジェクトを創り発信し続けよう。一点突破、全面展開のスタイルで、「地域→地区→県域→地方→日本→世界」という進出を測る。そんな意味を込めてゼロワンは生まれました。

なるほど。まさにゼロからスタート。そして、その先に目指す世界を自らの手で創り上げる。
口で言うのは簡単ですけど、それをこつこつ積み上げていくことは容易ではありませんね。


うん。このストーリーに共に寄り添って、楽しんでくれる仲間やファンがあってこそ。



私もそのうちの一人です!チャンバラの楽しさ、皆さんの想いに惹かれて参画しました。
そのチャンバラ、ゼロワンがどのようにして生まれたのか知ることができて、より一層活動へ勤しもうと思いました。
初期メンバーの皆さま、発足当初の貴重なお話ありがとうございました!!

チャンバラ、ゼロワンが生まれ、どんどん拡張していく過程も気になるところではありますが、第二章で。

つづく。

参考ブログ:チャンバラ合戦〜戦IKUSA~が生まれた経緯(理事長執筆ブログより)
      第一回開催(理事長執筆ブログより)


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