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歴史・戦国

戦国時代のお正月は武士が中心?!現代とは少し違うお正月の中身とは

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こんにちは、チャンバラ運営スタッフのみやか(@6_miyaka)です。

もうすぐ1年が終わり、新年を迎えますね。お正月と言えば、おせち料理にお雑煮、初詣、お年玉と楽しい嬉しいことが盛り沢山!子どもたちが大好きな行事の一つだと思います。

では戦国時代のお正月はどうだったのでしょうか?調べてみました。

新年の挨拶は戦国時代も行われていた

戦国時代は戦のイメージが強く、新年の挨拶なんて出来たの?と思っていましたが、戦国時代の武士たちも現代と同様、親戚や仲間が集まり、酒を飲んだり初詣をしていたそうです。そして、登城し主君への挨拶も行っていました。

 

織田信長と豊臣秀吉の性格を表すお正月のエピソード

織田家に仕える諸将が揃い、お正月を祝う席での信長の前に運ばれてきた料理に、お箸が一本しか置かれていないという配膳係のミスがありました。それに対し信長は怒りが抑え切れない様子。お正月を祝う雰囲気が、一瞬で冷え固まってしまいました。

その雰囲気の中、末席にいた秀吉が「これは粋なこと。片箸で膳を平らげる。それすなわち、殿が片っ端から諸国を平らげると示唆しておるのでしょうな。正月ならではの、めでたい例えにございましょう」と言い、上手く場を取り持ったそうです。さすが秀吉ですね。

 

戦国時代のお雑煮とおせち

お雑煮 おせち

戦国時代には、ほぼ全国でお雑煮が食べられるようになっていましたが、この頃はまだ武士の料理であり、一般庶民に広がるのは江戸時代以降です。戦国一のグルメ武将と評されている伊達政宗の雑煮には、アワビ、ナマコ、ニシン、ごぼう、豆腐、黒豆、角餅が入っていたと言われています。

同じように政宗はおせち料理にもこだわっていて、鯨や白鳥の肉等、60種類以上の食材を使っていたようです。現代に近いおせち料理を食べていたのは、おそらく伊達政宗が最初かもしれません。

 

おせち料理の各料理のいわれ

おせち料理に入っている料理で、戦国時代の武士が出陣前に食していたと言われているものがあります。それは、栗きんとん昆布巻きです。

 

栗きんとん

栗きんとん

黄金色に輝く栗きんとんは、黄金に例えられ豊かな1年を願う食材として好まれてきました。また勝栗ということで、縁起が良い食べ物として食べられていました。

 

昆布巻き

昆布巻き
昆布は、喜ぶの言葉にかけられる食材で、縁起が良い食材のひとつです。またお正月の鏡飾りにも用いられる等、一家の発展を願う縁起ものでもあります。

 

戦国時代のお年玉は武器だった!?

お年玉

お年玉は、戦国時代辺りから始まりました。その頃は、日本古来からのすべてのものには神が宿るという考え方で、皆が神様を信じていました。

年の初めになると、神様が家に来る準備としてお正月の飾りつけをします。神様は宿る場所を準備してくれたお礼として、新しい魂を与えてくれます。その新しい魂のおかげで、人々は新しい年を無事に過ごすことができると信じられていました。

神様から新しい魂をいただけるのは家の主だけだったので、その新しい魂を刀など目に見える形にして家族に分け与えたものがお年玉の始まりだそうです。

 

通信手段でもあった戦国時代の凧揚げ

凧揚げ

凧揚げは平安時代に中国から入ってきました。

当時は四角い形で長い足ということで、いかのぼりイカ等と呼ばれていたそうです。

戦国時代では、いかのぼりは武士の通信手段としても使われており、敵までの距離を測ったり、遠くへ放火する戦いの道具等としての使用もありました。なので、凧揚げの技術はかなり高いものだったそうです。

なので江戸時代直前までは、貴族や武士等の一部で遊ばれたり使用するものだったため、町民の手には届きませんでした。

 

お正月は日本で最も古い行事

迎春

お正月は、日本で最も古い行事だと言われています。6世紀半ばに仏教が伝来したときには、既に存在していたようです。

お正月は家に歳神様をお迎えし、祝う行事です。歳神とは1年の初めにやってきて、その年の作物が豊かに実るように、また家族全員が元気で暮らせる約束をしてくれる神様です。

あけましておめでとうございますは、年が明け、歳神様を迎える際の祝福の言葉でした。つまり神様への感謝の言葉を人々の間で交わすことにより、心から歳神様を迎えたことを喜びあっていたということです。

 

新年を迎えると気持ちが新たになり、今年1年も頑張ろうという気持ちになりますね。みなさん、素敵な新年をお迎えください!



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