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あの武将がまさか!?3人の戦国武将のイメージと違う意外な一面

2017.12.20 歴史・戦国
上杉謙信 伊達政宗 徳川家康 戦国時代 戦国武将 歴史

こんにちは。NPO法人ゼロワンメンバーの澤木です。

  

 

 

突然ですが、皆さんは「織田信長」と聞いて、どんなイメージを持たれるでしょうか。

 

 

うつけ者。

悪逆非道。

戦上手。

 

おそらくこんなところではないでしょうか。

 

それが正しいかどうかはさておき、私たちはつい他人に対して何かしらのイメージを持ってしまいがちです。

 

 

「彼は会社のナンバーワン営業マンだから、きっと完璧超人みたいな人だろう」

「娘の彼氏は昔不良だったと聞く。どうせしょうもないやつに決まっている」

「ゼロワン大阪代表の池嶋さんなら、きっとこんな記事にもおもろいリアクションを残してくれる」

 

独り歩きしたイメージはやがて思い込みになり、それが現実に他人に対して影響を与えることもあります。

「ピグマリオン効果」「ゴーレム効果」という言葉をご存知でしょうか。

 

ただよう無理やり感。

 

なにやらファンタジーな雰囲気の言葉ですが、実は心理学用語の一種です。

  

ピグマリオン効果(ピグマリオンこうか、: pygmalion effect)とは、教育心理学における心理的行動の1つで、教師の期待によって学習者の成績が向上することである。別名、教師期待効果(きょうしきたいこうか)、ローゼンタール効果(ローゼンタールこうか)などとも呼ばれている。

出典:Wikipedia

 

人は期待された通りの成果・結果を出す傾向がある、といった趣旨のものです。

ゴーレム効果はこの逆で、期待をされない相手がその通りにうだつが上がらなくなってしまうことを指します。

  

では、この「期待」はどこからくるのでしょうか。

おそらく先述の思い込みやイメージではないかと思います。

 

ですが、そんなイメージとは異なる一面も、人には必ずあるものです。

 

例えば先ほどの織田信長にも、祭り好きだったり、領民の障がい者に施しを与えたりと、人情味を感じるエピソードが史実としてあります。

 

 

今回のブログでは、このような「戦国武将の意外な一面」について掘り下げてみたいと思います!

 

 

 

徳川家康

 

 

皆さんご存知戦国時代の覇者、徳川家康。

“鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス”の句にある通り、虎視眈々と天下を狙い続けた我慢強いイメージを持たれている方が多いかと思います。

 

ですが実際の彼のエピソードを紐解くと、我慢強いイメージとは真逆の「短気」な一面がみえてきました。

 

 

 

例えばかの関ヶ原の戦い。

西軍の武将・小早川秀秋の裏切りにより戦況が逆転するというエピソードがこの戦のハイライトであり特に有名です。

 

豊臣秀頼と確執のあった秀秋に寝返りを持ちかけていたのが他ならぬ家康だったのですが、この秀秋、関ヶ原の戦の時点で若干18歳。

現代とは年齢観が違うとはいえまだまだ若者、裏切りをはたらくことにビビってしまいます。

 

なかなか寝返ってこない秀秋の軍に対し家康は、

「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス。秀秋の腹が決まるまでのんびりと待つ…

 

 

 

 

ワケあるかボケ。」

 

 

パーン。(銃声)

 

 

家康、激おこぷんぷん丸です。

秀秋隊に対し、なんと火縄銃の威嚇射撃を行うという暴挙に出ます。

これをもって秀秋も遂に覚悟を決め、歴史を大きく変える裏切りがなされました。

 

 

この通り家康は生来短気な性格だったといいます。

戦においても、水攻めや兵糧攻めなどのじわじわと敵を消耗させる持久戦術はほとんどとることはなく、瞬時の判断を要求される野戦を好んでいたことにも、彼の性格が反映されているのでしょう。

 

ではなぜ現代になって、家康は我慢強いイメージを持たれているのでしょうか。

それは彼が、自身の短所にしっかりと向き合ったことにあります。

 

 

三方ケ原の戦いで家康はその短気さが災いし、武田信玄に大敗を喫します。

命からがら帰城した家康は、恐怖の余りおもらししていたとも伝えられています(諸説あり)

 

この情けなさを生涯忘れぬため、家康はなんとその姿を肖像画として絵師に描かせます

 

徳川家康三方ヶ原戦役画像「顰像(しかみぞう)」

 

 

言うなれば自らの黒歴史を形に残すようなもの。

私も暗黒の高校時代の写真が何百年も後世に残るとか考えただけで発狂しそうになります。

 

こうした家康の立派であろう、我慢強くあろうという並外れた自律心が、「鳴かぬなら~」の句のような形となって現代にも伝わっていると思うと、感慨深いですね。

 

 

 

 

伊達政宗

 

 

「独眼竜」の異名で知られる奥州の覇者。

戦国時代的には主要ではない地方の領主であったにもかかわらず、非常に高い知名度を誇る武将となっているのは、「奥州の暴れん坊」といわれる 厨二病 破天荒な振る舞いのイメージによるところが大きいですね。

また当時は主流でなかった海外との貿易にも積極的で、そのイメージを大きくフィーチャーした某ゲームでは、

パーリィ☆ パーリィ☆

OK, Are you Ready?

 

と喚き散らしております。どうしてこうなった。

 

※チャンバラ合戦-IKUSA-では彼のような六刀流は禁止です。

 

 

そんな政宗の意外な一面は「料理男子」

当時は料理が大名・領主のたしなみでもあったため、料理のできる武将自体はさして珍しくもなかったようですが、その中でも政宗の料理好きは頭一つ抜けており、日夜料理の研究に余念がありませんでした。

 

特に味噌に対して強いこだわりを持ち、仙台の城下町に味噌の醸造所を作らせたほどです。

そして味はもちろん、合戦の際にとても重要な保存性にも気を配っていました。

その品質は朝鮮出兵の際に、他の武将が持参した味噌は暑さでダメになっていく中、政宗の「仙台味噌」は全く問題なく食べられ重宝された、というエピソードがあるほどです。

 

 

現代でも仙台地方の名物として人気のずんだ餅や笹かまぼこも、一説では政宗が考案したとされているほどです。

 

ちなみにその名前からいかにも関係のありそうな伊達巻は、実は政宗の考案ではないのだそうです。

 

 

伊達巻の伊達は、派手で目を引くさまを表す「伊達者」からとられていますが、この伊達者という言葉がまさに政宗の派手な立ち居振る舞いを由来とした言葉で、まったくの無関係というわけではないようですね。

 

「馳走とは旬の品をさりげなく出し、主人自ら調理してもてなす事である」とは晩年の政宗の言です。

時の将軍・徳川家光をもてなした際、味見から配膳まで一切を執り行った人物の金言、何とも説得力がありますね。

 

 

 

 

上杉謙信

 

 

最後は私の出身地、新潟が生んだ越後の龍。

甲斐の虎・武田信玄の好敵手として幾度も合戦を繰り広げ、戦の手腕にかけては戦国時代最強と語られることもあります。

2007年の大河ドラマ・風林火山でGACKT氏が演じたことでも話題となりました。

 

 ※余談ですが新潟県上越市では毎年8月に「謙信公祭」を開催しており、先述の風林火山の放送以降はGACKT氏が謙信役として時折ゲストとして参加されています。目福目福。

 

 

 

そんなGACKT氏のイメージとは打って変わって、謙信の姿というのは武神・毘沙門天を崇拝していたことや生涯女性関係を持たなかったとされることなどから、硬派でむさいおっさんとして描かれることが多いです。

 

Yahoo! の画像検索をしてみてもこの通り。

 

 

この通り…

 

 

…なんか女性の画像、多くないっすか?ありがたや

 

そう、上杉謙信の意外な一面とは「女性説があること」

トンデモ理論かと思いきや、下記のような論拠が挙げられています。

 

・死因が婦人病であったとする文献がある点

・毎月10日頃に決まって腹痛を訴えていた点(生理痛?)

・民謡の中で「男も及ばぬ怪力無双」と歌われている点

 

 

いずれも信ぴょう性の強いものではないため仮説の域は出ませんが、本当であればなかなか面白いですよね。

聖徳太子が教科書から消えるかもしれないと話題になった昨今、数年後の教科書では謙信が女性として扱われていても不思議ではないかもしれませんね。

 

 

 

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

武将のイメージとは違う意外な一面から、少し見る目が変わったのではないでしょうか。

 

 

ではここで、あなた自身は身の回りの大切な人や知人・友人に対して、どのようなイメージを持っていますか。

 

 

先述のピグマリオン・ゴーレム効果のように、過度な思い込みはその人自身に影響を与えてしまいます。

またイメージばかりに目が行ってしまうと、その人の意外な個性や魅力を見落としてしまうかもしれません。

 

 

色眼鏡にとらわれることなく、しっかり相手の本質を見据えられるような人物になりたいものですね。

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