歴史・戦国

NHK大河ドラマ「真田丸」公開記念☆絶対に知っておくべき「真田家」の真実!

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戦馬鹿の長野である。2016110日よりNHKの大河ドラマで「真田丸」の放送が始まる。戦国武将で真田と言われれば、最初に出てくるのが勿論「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評された真田幸村であろう。

幸村が一躍有名になった大きな要因は、ゲームの戦国無双で最強武将として取り上げられたことにある。その為、近頃では幸村の名前が知れ渡っているのである。

しかし、しかし! だがしかし!! 戦馬鹿の私から言わせると、真田家について絶対に知っておいてほしい事実があるのだ!

 その事実とは、、、

 

実は、戦国時代の真田家には、、、

 

幸村と肩を並べるほどの英傑が、ゴロゴロいたのである~~~!!

そこで今回は、大河ドラマ「真田丸」を楽しむ為、改めて戦国時代の真田家について、知っておくべき事柄を分かりやすく解説していきたいと思う。

※尚、ここからは似たような名前が多く出てくるため、皆様ご存知の真田幸村を中心に名前の後にカッコ書きで簡単な説明(例:真田 昌幸(父))を入れていきます

戦国時代の真田家 第一章(武田家滅亡~関が原まで)

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元々、真田家は武田家の家臣であり、真田昌幸(父)が最初に仕えていたのは、私が最も尊敬する戦国大名の武田信玄(社長的な)である。

悲しきかな信玄没後は、跡取りの武田勝頼(社長の息子的な)の家臣となり1575年の長篠の戦い(※1)に、勝頼の旗本として出陣している。

1.長篠の戦い…織田信長(デアルカ!) VS 武田勝頼(社長の息子的な)が全面衝突した戦

しかし、長篠の戦いでは昌幸(父)の二人の兄が特攻の末あぼん(死亡)し、武田家も滅亡。爆弾パスを受け取った様な状態で、昌幸(父)は真田家当主となった。

しかし、不幸中の幸いともいえるのが真田昌幸(父)の二人の息子こそ、歴史に名を刻む真田信之(兄)と真田幸村(弟)だったのである。

武田家が滅亡し、消滅寸前の真田家を率いた昌幸(父)であったが徳川、北条、上杉などの強大な近隣国に囲まれながらも、政治・武力交渉を積み重ね、最終的には豊臣秀吉の家臣(西側)に落ち着く。

幸村(弟)も同じく豊臣家(西側)に仕えたのだが、信之(兄)だけは徳川家(東側)に属することになったのである。

こうして、真田家は西側に父&弟、東側に兄と別れることになり、その後の関ヶ原の戦い(※2)であいまみえる数奇な運命を辿ったのである。

2.関ヶ原の戦い…豊臣秀吉(西側) VS 徳川家康(東側)が争った天下分け目の戦い

戦国時代の真田家 第二章(関ヶ原~豊臣家滅亡まで)

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関ヶ原では当初東軍が不利とみられていたが、予想を覆して西軍が瞬殺されてしまい昌幸(父)と幸村(弟)は、領土没収&死罪となるが、信之(兄)が家康に頼みこみ、死罪だけは回避してもらうことができた。

その結果、昌幸(父)と幸村(弟)は、高野山(和歌山あたりの山)にすっ飛ばされ強制隠居生活となった。昌幸(父)は、平和に過ごし、そのまま昇天する。ナームー。

その頃、中央では関ヶ原の敗戦以降、勢力が弱った豊臣家(西側)を滅亡させる為、徳川家康(東側)が、ここぞとばかりに総攻撃を命じ、大阪冬の陣が勃発したのである。

強制隠居をさせられたものの力が有り余っている幸村(弟)は、豊臣方(西側)の涙ながらの要請を受け、全力で脱走し大阪城へ走った。

そして、大阪冬の陣を、再度豊臣方(西側)として戦ったのである。

実は意外にも、この時点まで幸村(弟)は戦の経験が少なく、彼の武勇は広まっていなかったので、割とノーマークだったのである。

しかし、そのノーマークの幸村(弟)が、この大阪の陣でリアル無双しまくったのである。

一説では、幸村が、徳川本陣まで迫り、徳川家康が「もうだめだ! 」と諦めて切腹しようしたところを家臣に止められるまで家康を追い詰めたといわれている。

しかし、最終的には徳川方(東側)の巧妙な戦略により、豊臣方(西軍)はフルボッコにされ、豊臣家は滅亡。そして、幸村(弟)も自害という最後を迎えたのである。

しかし、信之(兄)は徳川家の家臣であった為、その後も徳川家康から信頼厚き武将として厚遇され、真田家は信之(兄)を中心に繁栄を続けたのである。

いかがだっただろうか? 戦国時代の真田家の歴史を、死ぬ程かい摘んで説明したが、当時最強と言われた武田信玄の家臣に始まり、関白の豊臣秀吉、最後は徳川家康と超大物に鞍替えし続け、お家を断絶することなく戦国の世を駆け抜けた世渡り上手なのである。

そして、真田家の英傑は幸村だけではないことが見えてくるのである。

これだけは知っていて欲しい。真田一家のチートエピソード

続いて大河ドラマ「真田丸」で、この場面が描かれるかは不明であるが真田昌幸(父)、信之(兄)の、これだけは知っておいて欲しいエピソードをご紹介していこう!

【真田 昌幸 編】 勝利のためなら息子をもあっさり騙す父!

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関ケ原合戦が開戦される直前の話だ。徳川家康の命令で徳川秀忠(家康の三男)に上田城を攻略せよと指令がおりた。

この上田城こそ、真田昌幸(父)が本拠にしている城である。

秀忠(三男)は、降伏の使者としてある武将を派遣した。そのある武将とは、昌幸(父)の実の息子である真田信之(兄)である!

実の息子に降伏の勧告をされて、これには敵わぬ! ということで昌幸(父)は、あっさりと上田城の引き渡しを決意した。私の想像がモリモリ入っているが、父と子でこんな会話が行われたのではないだろうか。

 昌幸(父)「伊豆殿(※3)よ、、、わしゃあのぉ~伊豆殿とは戦いたくないんじゃ~。わしらは、主君を違えることにあいなって以来、敵対関係となってしもうた。しかし、如何に主君の契りとはいえども、親子の絆に遠く及ぶものではない。よいか、信之(兄)。わしはこの上田城をお主に引き渡すことにした。」

(※3)信之(兄)は当時伊豆エリアの沼田城主なので伊豆殿と呼ばれていた)

信之(兄)「父上!! 長年守ってこられたこの城を明け渡して頂く御覚悟、、、この信之には痛いほど分かります。しかし、父上と戦う事にならず、本当にようございました。すぐに内府様(家康のこと)、秀忠様(家康の三男)に、父上のご決断を伝えて参ります。」

 

 こうして、実の父と刃を交えることを避け無血開城を成し遂げたのである。この時、信之(兄)は間違いなく” どや顔 ”で秀忠(三男)に報告しにいったであろう。

そして、これには秀忠も大喜びし、昌幸(父)の開城を待つことにしたのであった。

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しかし、、、1日、2日と降伏を待っても、昌幸(父)は上田城から一向に出てくる気配がなかった。

この時に、ようやく実の息子である信之(兄)は、父が戦国の世をしたたかに生き抜いてきた稀代の戦国大名であったことを思い出したのだ。

つまり、昌幸(父)は鼻から上田城を明け渡す気がなかったのである。それどころか、日数を稼ぎ、籠城(立てこもり)の準備を着々と進める始末である。

” どや顔 ”で秀忠に報告をした信之(兄)の面目は丸つぶれになっただけではなく、信之(兄)と秀忠(家康の三男)の間に禍根を生み出した出来事であった。

常に合理的かつ冷静であり、目的のためであれば実の息子さえも落とし込む事を厭わない!

そんな性格だったからこそ、昌幸(父)は戦国時代という荒波の様な時代をたくましく生き抜いたのであろう。

【真田 信之編】 幸村の兄は、どんな功績を残しているの?

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真田昌幸(父)の長男の信之(兄)だが、果たしてどの様な逸話があるのだろうか。ここで信之(兄)の無双伝説を列挙してみよう。

真田 信之(兄)の無双伝説

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  • 800名で北条方の5000名が籠城する城に攻撃を開始。800名は無理だと援軍が駆け付けた頃に、城は陥落していた(僅か一日だったらしい)
  • 300名で徳川軍の主力部隊と応戦し、フルボッコにして追い返す
  • その後、徳川家に帰順するが、すぐに戦功をあげまくり、沼田城主に任命される(つまり一国一城の主(殿様)となる)
  • しかし、情に厚く優しい性格から、父親には城を渡すと言って騙される
  • 関ヶ原で更に功績を認められ3万石(※5)の加増を受けて、9万5千石となる

(※5)1石で成人男性1年分養えるほど

  • 平均寿命30代と言われた戦国時代(諸説あり)。長寿で有名な徳川家康ですら、享年75歳であったが、信之(兄)はなんと! 92歳まで生きたらしい

上記はほんの一例だが、常に自分よりも強大な上杉、北条、徳川と戦い、勝ち続けているのである。

更に、関ヶ原の戦いでは反逆人となった父と弟がいたにも関わらず、信頼を失うことなく、所領安堵、更に加増を重ねていくのである。

更にもう一つだけ語りたい。私が真田信之(兄)で、最も好きなエピソードを紹介しよう。

昌幸(兄)は上述の通り徳川軍と戦い、毎回ボコボコにしてきたが徳川家と真田家の和平の後、徳川家に仕える事になったのである。仕え始めて間もない頃、信之(兄)に婚姻の話が持ち上がったのである。

その婚姻の相手とは、徳川家康の腹心、本田忠勝(めっちゃ強い人)の娘であった。

しかも、この時に徳川家康は、ただ単に嫁がせるのではなく、本田忠勝(めちゃ強い人)の娘を一度自分の養女にしてから信之(兄)に嫁がせているだ。

家康からすれば、養女の婿。つまり、信之(兄)を我が子として受け入れたということであり、これこそが信之(兄)を高く評価していた証なのである。

※なお、幸村(弟)は、豊臣秀吉の腹心である大谷吉継(めっちゃ頭いい人)の娘を娶っているが、秀吉は自分の養女にはしていない

このように現代では幸村の陰に隠れがちな、真田信之(兄)であるが、幸村と比べても決して見劣りする事のない立派な戦国武将だったのである。

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さぁ真田家について語ったところで、今年一度は真田ごっこをやらねば、気持ちが納まらない。ぬおおおお!! 燃えてきた! 燃えてきた!! ぜひ、皆様も一緒に真田ごっこやりましょう! それでは、またお会いしましょう!

現代の真田幸村になりたい人必見!!~次回合戦予告~

チャンバラ合戦-戦IKUSA-〜SAMURAI WARS〜

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外国の侍と日本の侍が200名集まって戦う大規模合戦が実現!

日時:4/30(土)13:00〜16:00
@大井ふ頭中央海浜公園スポーツの森「陸上競技場」

【詳細】https://www.facebook.com/events/1215492978479355/

チャンバラ合戦-戦IKUSA-〜家族一緒に戦おう〜

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親子限定の戦となっています。家族の絆を深めよう!

日時:5/5(木)14:00〜17:00
@綾瀬の東京武道館にて開催
https://m.facebook.com/events/938289956266736

チャンバラ合戦-戦IKUSA-〜おとなたちの戦い〜

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大人たち限定のチャンバラ合戦-戦IKUSA-!骨の髄まで楽しもう!!

日時:5/5(木)17:00〜19:30
@綾瀬の東京武道館にて開催
https://m.facebook.com/events/1548375878806921/

チャンバラ合戦-戦IKUSA-〜まちだしばひろの戦い〜

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町田にチャンバラ合戦-戦IKUSA-合戦がやってくる!?大きな芝生広場で大合戦!

日時:5/21(土)14:30〜17:30
@町田のしばひろにて開催
https://www.facebook.com/events/1258293040852379/

※この記事では分かりやすさ優先で、【真田幸村】表記で書いてます。本名は信繁(のぶしげ)。

関連記事:【日本一の兵】真田幸村!実は・・・アダ名って知ってました!?

 



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