
【日本一の兵(つわもの)】真田幸村!実は・・・アダ名って知ってました!?
幸村の真実
皆さん、こんにちわ!タカヒトです。
いよいよ2014年も終盤になりました。
今日は、今年からちょうど400年前に起きた「大阪冬の陣」で大活躍した真田幸村を取り上げましょう。
戦国BASARAでも大人気の真田幸村、戦国無双でも大活躍の真田幸村ですが、実は、幸村という名前、江戸時代につけられた「アダ名」なんです。
本名は真田信繁
天皇陛下から官位も頂いていたので、みんなからは、真田左衛門佐信繁と呼ばれていました。大阪冬の陣までは、全くの無名で、誰も幸村のことは知らなかったのです。
それほどの影の薄い人間が、400年の時を経て、今や歴女のなかでも郡を抜いた人気モノになっています。なぜ、これほどまでにヒトを魅了するのでしょう???
江戸時代、民衆は徳川の世を諸手をあげて歓迎していたわけでありません。秀吉の時代のほうが良かったのではないかという鬱屈した想いがありました。しかし、歴史とはヒストリー。ヒズストーリー、彼のヒストリー、彼とは勝者です。
勝者とは徳川幕府です。江戸時代には秀吉を描いた太閤記物は弾圧されていきます。そこで村芝居では羽柴秀吉を真柴久吉などに変えて演じています。
そんな時代に豊臣家への忠義のために男を散らした英雄として真田信繁は庶民から人気を得ていきます。武将としての器量に恵まれながら働き盛りの日々を14年間も無為に送る悲哀を味わい、家康からの大名取立の話を蹴り、豊臣家のために見事な花を咲かせて、美しく散華した・・・・・・。
そんな生き様をみせてくれた信繁に共感し喝采を送るために幸村という名前で長く語り継がれたのではないでしょうか。
「幸村」の幸は、父の昌幸の幸。村は姉の村松姫からとったと言われていますが真偽はわかりません。
また、江戸時代には真田幸村の家来として真田十勇士が物語として登場しました。そう、猿飛佐助、霧隠才蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎などの忍者ものです。とくにこの忍者たちが大阪夏の陣で、実は家康を討ち取ったとの噂もあるくらいです。
家紋は六文銭
更に、真田家の家紋として有名なのが六文銭です。この六文銭は三途の川の渡し賃とされています。その家紋を選んだ理由として、いつでも死ぬ覚悟はできているという、心意気が表されていると言います。
徳川家康を追いつめ、日本一の兵(つわもの)と言わしめた豪傑さも、この覚悟があってこそだったのでしょう
そんな真田十勇士を率いる真田幸村が東京都足立区の綾瀬にある東京武道館に
2014年12月13日
降臨します。
今度は、どんな物語を私たちに見せてくれるのでしょう。
歴史とは、勝者のヒストリー。
誰が、勝者になるのか!!
幕は切って降ろされる。
乞うご期待!!
次回開催予告
チャンバラ合戦-城攻SHIROZEME-
~鉄壁の一夜城~