豊臣秀長とは?兄・豊臣秀吉との関係やその活躍を紹介

2025.04.08

豊臣秀長(とよとみ ひでなが)は、豊臣秀吉の異父弟として知られ、豊臣政権を支えた人物です。戦国時代兄の天下統一に貢献しながら、自身も100万石を超える大大名となり、従二位・権大納言に昇進しました

2026年のNHK大河ドラマでは、豊臣秀長を主人公とする物語『豊臣兄弟!』が放送される予定であることから、現在注目を集めています。

本記事では、豊臣秀長についてやその実績と評価、生涯とその歩み、秀長が登場する物語・フィクション、関係する主な武将、ゆかりのある場所、2025年・2026年に開催予定の秀長に関連するイベント、歴史イベントを開催予定の方におすすめのサービスを紹介します。

豊臣秀長とは

豊臣秀長(とよとみ ひでなが、1540年~1591年)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将です。豊臣秀吉の異父弟と言われています(同父弟との説もあり)。その存在は兄・秀吉の陰に隠れがちですが、実際には豊臣政権の形成と安定において不可欠な役割を果たしたと考えられています

さまざまな資料から、秀長が温和で理知的な性格を持ち、争いを避けて円滑に物事を運ぶ調整力に長けていたことが伺えます

豊臣政権が一定の秩序を保つことができた背景には、秀長の存在が不可欠であったとされ、近年再評価が進んでいます

豊臣秀長の実績と評価

豊臣秀長は、政治・軍事・領国経営をバランスよくこなす人物だったようです。ここでは、秀長の実績と評価を見てみましょう。

1.高い調整力

豊臣秀長が最も評価されているのは調整力です。彼は豊臣秀吉と諸大名との間を取り持ち、豊臣政権を安定させたと言われています

例えば1585年の「四国攻め」では、長宗我部元親との講和にあたり、領地を削減しつつも土佐国を安堵するなどの条件を出して交渉を成立させました。また徳川家康とも良好な関係を築き、さまざまな調整をしていたとされています。

さらに秀長の死後、豊臣政権では石田三成・小西行長らの文治派と、加藤清正・福島正則らの武断派の対立が顕在化したことから、秀長が政権内部でバランスを取る役割を担っていたと考えられています。

2.軍事面での貢献

豊臣秀長は、軍事面でも豊臣秀吉の躍進を支えました。例えば秀吉が総司令官を務め、毛利輝元の勢力圏を攻略した「中国攻め」(1577年〜1582年)では、秀長は山陰道と但馬国平定の指揮を任されています

また「四国攻め」では病気の秀吉の代わりに総大将を務め、わずか数ヶ月で長宗我部元親を降伏させるなど、迅速かつ的確な戦略を展開しました。

 3. 領国統治での手腕

豊臣秀長は、領国経営においても手腕を発揮しました。

「四国攻め」を成功させた後、秀長は大和・紀伊・和泉などの約100万石を領有し、大和郡山城を本拠としました。彼は検地の実施や盗賊の追捕などを行い、善政を敷いたと考えられています。赤膚焼という陶器を創始したとも言われています。

また、寺社勢力が強い地域でありながら、大きな禍根を残すことなく統治を行ったことから、その巧みな手腕を伺い知ることができます。

豊臣秀長の生涯とその歩み

ここでは、豊臣秀長の生涯について見ていきましょう。

※記事内では、時期に関わらず「豊臣秀長」「豊臣秀吉」の名称を使用しています。

幼少期~青年期

豊臣秀長は1540年、尾張国愛知郡中村(現在の愛知県名古屋市中村区)で生まれたとされています。後の天下人・豊臣秀吉の異父弟と言われていますが、同父弟という説もあります

秀長は、秀吉と同様に、武士の家柄ではありませんでした。そのため、史料における幼少期の記録は多くありません。しかし、兄・秀吉の家臣団のなかで着実に地位を築いていったことは確かなようす。1573年に秀吉が浅井長政を攻め、長浜城主となると、秀長が城代を務めることもありました

織田信長配下時代~秀吉の右腕的存在

豊臣秀吉が織田信長の命で、数々の戦に赴くと、秀長も参戦し活躍するようになります。特に戦略・戦術を実行するうえでの裏方として、存在感を発揮します

例えば「中国攻め」では、別所氏と戦った「三木合戦(1578〜1580年)において補給路を断つことに成功し、勝利を支える陰の立役者となりました

また「備中高松城の戦い」(1582年)では、人員の手配や金策などの手続きを担当し、水攻めを成功に導いたとされています。

豊臣政権確立と領国統治

1582年、「本能寺の変」により織田信長が明智光秀に討たれると、秀吉は毛利家との戦闘を止め和睦協定を結び「中国大返し」を行います。秀長も「山崎の戦い」や「賤ヶ岳の戦い」「小牧・長久手の戦い」などに参戦し、秀吉の天下取りまでの道筋を支えました。

その後、1585年の「紀州攻め」では副将、「四国攻め」では総大将を務めます。その活躍により、紀伊・和泉・大和を任され、約100万石の大大名へと成長します

彼の本拠地となったのが、奈良県大和郡山市の郡山城です。秀長はこの城城下町を整備し、領国統治に手腕を発揮しましたまた、朝廷から従二位・権大納言の官位を与えられたことから「大和大納言」と称されるようになりました

豊臣秀長の死と豊臣政権の動揺

1591年、秀長は病により52歳でこの世を去ります。

秀長の死後、豊臣政権は「文禄・慶長の役」(1592年〜1598年)、いわゆる「朝鮮出兵」に踏み出します。また政権内部では文治派と武断派の対立が顕在化、次第に暗雲が立ち込めます。やがて原の戦い」(1600年)に至るまでの分裂と混乱の道をたどることになりました

秀長の死から10年足らずで、豊臣政権が瓦解への道を歩んだことから、秀長の存在が政権の「見えざる屋台骨」であったことが伺えます

豊臣秀長が登場する物語・フィクション

ここでは、豊臣秀長が登場する物語やフィクションを紹介します。

『豊臣兄弟!』【NHK大河ドラマ】

2026年のNHK大河ドラマ第65作は、豊臣秀長が主人公の『豊臣兄弟!』です。天下統一を成し遂げた豊臣兄弟の奇跡を、秀長の目線で描く「夢と希望の下剋上サクセスストーリー」です。

秀長を演じる仲野太賀は、連続テレビ小説「虎に翼」でヒロインの夫・佐田優三役を演じて大きな注目を浴びました。そしてその兄、豊臣秀吉役の池松壮亮は、2003年にハリウッド映画『ラスト・サムライ』で映画デビュー、『シン・仮面ライダー』の主人公役で話題となりました。

脚本は「半沢直樹」「下町ロケット」などを手がけた八津弘幸が担当します。

【キャスト情報】

  • ・豊臣秀長/仲野太賀
  • ・豊臣秀吉/池松壮亮
  • ・直(秀長の幼なじみ)/永野芽郁
  • ・慶(秀長の正妻)/吉岡里帆
  • ・寧々/浜辺美波
  • ・織田信長/小栗旬
  • ・お市/宮﨑あおい

 

参照:2026年 大河ドラマ「豊臣兄弟!」主人公・豊臣秀長役は仲野太賀さん! – NHK

堺屋太一『ある補佐役の生涯 豊臣秀長』【歴史小説】

堺屋太一『ある補佐役の生涯 豊臣秀長』は、豊臣秀長にスポットを当てた歴史小説です。戦国時代を舞台に、兄・秀吉を陰で支え続けた名補佐役として、秀長の生涯を描いています。

本作では、秀長を「日本史上屈指のナンバー2」とし、その卓越した実務能力や調整力・統治能力を描き、彼がいなければ秀吉は天下人になれなかったと書いています。

堺屋太一は経済や組織運営の視点から歴史を考察する作風で知られており、本作でも秀長の政治手腕や組織マネジメントに焦点を当てています。戦国時代の政権運営に興味のある読者にとって魅力的な作品です。

参照:全一冊 豊臣秀長 | 堺屋太一著 | 書籍 | PHP研究所

司馬遼太郎『豊臣家の人々』【歴史小説】

司馬遼太郎『豊臣家の人々』は、豊臣秀吉を中心に、その一族の人生を描いた歴史小説です。本作の中で豊臣秀長は、一族のなかでも特に才覚のある人物として描かれています。

司馬遼太郎は秀長を、独創性はないものの命令されたことは何でもこなし、温厚で誠実な人柄で、損な役回りでも不満を言わずに秀吉を支えた人物と称しています。

本作では「もし秀長が長生きしていたら、豊臣家の運命は変わっていたかもしれない」と示唆されています。司馬遼太郎は、秀長を単なる補佐役ではなく、豊臣家の屋台骨を支えた存在だとしています。

参照:豊臣家の人々 -司馬遼太郎 著|中公文庫|中央公論新社

北野武『首』【映画】

2023年に公開された『首』は、「本能寺の変」を題材とした映画です。​大森南朋演じる羽柴秀長は、主演のビートたけし演じる羽柴秀吉の弟として登場します

秀長は、常に秀吉の側にいる腰巾着として描かれ、秀吉・秀長と浅野忠信演じる黒田官兵衛の、アドリブを交えたコミカルな演技は見ものです。

『首』は、北野武監督が30年の構想を経て完成させた作品であり、豪華キャストが集結しています。​大森南朋の秀長役は、そのなかでも特に注目すべき存在であり、戦国時代の歴史ドラマに新たな視点を提供しています。

参照:映画『首』公式【11月23日(木・祝)公開】 (@kubi_movie) / X

豊臣秀長関係する主な武将

豊臣秀吉

豊臣秀吉は、豊臣秀長の異父兄であり主君でした。秀吉は秀長を高く評価していたと考えられており、戦において重要な役割を任せたり、100万石を超える領地を与えたりしました。「中国攻め」の際、秀吉から黒田孝高宛に送った手紙には、「小一郎」(秀長の通称)の名前を信頼の代名詞として記しています。1591年に秀長が病死すると、秀吉の政権運営は次第に独裁色を強め、不安定になっていきました。

黒田官兵衛(如水)

豊臣秀吉の軍師として有名な黒田官兵衛と秀長は、ともに豊臣秀吉を支えた重臣で、協力関係にありました。

官兵衛は秀吉の軍師として数々の戦で戦略を立案し、秀長は軍事・政務の両面で秀吉を支えました。例えば、官兵衛が考案した「備中高松城の水攻め」を行った際、秀長は武将として参戦しただけではなく、人員調達や土木作業などの事務的な処理をまとめたと言われています

石田三成

石田三成は、豊臣政権で奉行として財政や行政を担当し、活躍した武将です。秀長の死後、三成は秀吉の政権を支える中心人物の一人となりますが、武断派との対立が深まり、「関ケ原の戦い」へとつながっていきました。このことにより、秀長が三成にとって後ろ盾の一人だったことが想像されます。

加藤清正

加藤清正は、豊臣秀長とともに豊臣秀吉に仕えた家臣です。清正は武勇に優れた武将として知られ、「賤ヶ岳の戦い」や「朝鮮出兵」で活躍しました。

「九州攻め」では、秀長が日向方面軍の総大将を務め、清正も奮戦し、その武功を大いに認められました。秀長が1591年に病死した後、豊臣政権内では石田三成と清正を含む武断派との対立が深まったことから、秀長の死は清正にも影響を与えたと考えられます。

豊臣秀長にゆかりのある場所

ここでは、豊臣秀長にゆかりのある場所を紹介します。

1.史跡郡山城跡(奈良県大和郡山市)

「郡山城」は、秀長が最も深く関わった地の一つです。1585年に大和・紀伊・和泉三国、約100万石の大名となった秀長は、郡山城を居城としました。秀長は城とともに城下町の整備を進め発展させました。郡山城跡は現在も奈良県大和郡山市に残っており、追手門や櫓が復元されています。また「日本さくら名所100選」に選ばれており、桜の名所として知られています。

施設概要

2.大納言塚(奈良県大和郡山市)

「大納言塚」は、豊臣秀長の墓です。1591年、郡山城内で没した秀長はここに葬られました。豊臣家が滅んだあと墓地は荒廃しましたが、1777年に五輪塔が建立されました。現在はいつでも自由に見学できます。

施設概要

3.長浜城(長浜城歴史博物館)(滋賀県長浜市)

「長浜城」は、滋賀県長浜市にある城です。1573年に豊臣秀吉が初めて主となった城として知られています。秀吉が織田信長から北近江を与えられた際に築城しました。豊臣秀長は、兄・秀吉が留守の際には長浜城の城代を務めることがありました。秀吉の側近として、長浜の統治に関わっていたことが伺えます。

その後、秀吉は遠征により長浜城を去り、城主は変遷しました。江戸時代には廃城となりましたが、現在は城郭が復元され、内部は「長浜城歴史博物館」として公開されています。

施設概要

  • 施設名:長浜城(長浜城歴史博物館)
  • 所在地:滋賀県長浜市公園町10-10
  • 参照:長浜城歴史博物館

4.史跡和歌山城(和歌山県和歌山市)

「和歌山城」は、和歌山県和歌山市にある城です。1585年、豊臣秀長が紀伊国を治めることになった際に築城され、普請奉行は藤堂高虎が勤めました。その後、和歌山城は江戸時代、徳川御三家の一つである紀州徳川家が治め、将軍を複数名輩出しました。現在は1958年に鉄筋コンクリートで復元された姿が見られます。

施設概要

5.大阪城豊國神社(大阪府大阪市)

「大阪城豊國神社」は、大阪城公園内に位置している神社です。豊臣秀吉を祭神としていることで有名ですが、秀長・秀頼も祀られています。秀吉の命日である8月18日には、毎年「太閤祭」が実施されています。

施設概要

  • 施設名:大阪城豊國神社
  • 所在地:大阪府大阪市中央区大阪城2-1
  • 参照:大阪城豊國神社

【2025・2026】豊臣秀長に関連するイベント

ここでは、豊臣秀長に関連する代表的なイベントをご紹介します。

大和郡山お城まつり

「大和郡山お城まつり」は、奈良県大和郡山市で毎年春に開催される祭りです。豊臣秀長が居城とした郡山城跡を舞台に、さまざまなイベントが行われます。祭りのメインである「時代行列」では、地元の小中学生など約200名が、秀長含めた武将に扮して練り歩きます。地元の名物である金魚の品評会やコンサート、夜桜や天守閣のライトアップも行われます。

イベント概要

  • イベント名:大和郡山お城まつり
  • 開催2025年3月24日(月)〜4月7日(月)
  • 開催地:奈良県大和郡山市城内町 史跡郡山城跡および城下町

参照:第64回大和郡山お城まつり|金魚とお城のまち やまとこおりやま(一般社団法人 大和郡山市観光協会公式ウェブサイト)

ホテル日航大阪 歴史セミナー天下人の右腕 豊臣秀長と城」 ※チケット完売

「天下人の右腕 豊臣秀長と城」は、城郭考古学者で、2016年NHK大河ドラマ『真田丸』で真田丸城郭考証を務めた千田嘉博先生による歴史セミナーです。豊臣秀長にまつわる城「郡山城」を中心とした解説を聞くことができます。会場は大阪「心斎橋駅」直結のホテル日航大阪です。

イベント概要

  • イベント名:ホテル日航大阪 歴史セミナー「天下人の右腕 豊臣秀長と城」
  • 開催日:2025年4月29日(火)
  • 開催地:大阪府大阪市中央区西心斎橋1-3-3 ホテル日大阪

参照:ホテル日航大阪 歴史セミナー 天下人の右腕 豊臣秀長と城|イベント情報|ホテル日航大阪【公式】

北近江豊臣博覧会 ※2026年予定

「北近江豊臣博覧会」は、滋賀県長浜市で2026年に実施予定のイベントです。NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で主な舞台となる長浜市の魅力を全国に発信することを目的としています。

長浜城下町では、大河ドラマ館を設置し、ドラマの衣装や小道具などを展示します。また「賤ケ岳の戦い」で秀長が本陣を敷いた田上山砦周辺を観光ルートとして整備したり、大河ドラマ出演者らによるトークショーを実施したりする予定です。

イベント概要

  • イベント名:北近江豊臣博覧会
  • 開催:2026年予定
  • 開催地:滋賀県長浜市全域

参照:長浜市において大河ドラマ「豊臣兄弟!」に関する実行委員会が発足 | 長浜市

和歌山城天守閣桜花見ナイター営業

豊臣秀長が城主を務めた和歌山城では、天守閣の桜花見ナイター営業を実施しています。天守閣敷地内の中庭の桜や、天守閣をライトアップします。和歌山城公園内を四季折々の光で彩る「和歌山城~光の回廊~」も実施されており、春の夜のお出かけにぴったりです。

イベント概要

  • イベント名:和歌山城天守閣桜花見ナイター営業
  • 開催日:2025年4月4日(金)~6日(日)、4月11日(金)~13日(日)
  • 開催地:和歌山県和歌山市1-3 和歌山城天守閣

参照:イベント詳細|イベント情報|史跡和歌山城

歴史イベントを開催予定の方向け】おすすめのサービス

ここでは、歴史イベントを実施する予定がある方に、おすすめのサービスを紹介します。

戦国宝探し

「戦国宝探し」は、参加者が宝の地図を持ち、ストーリーに沿って歩き回りながら、隠された宝物を探す参加型のゲームです。地域の歴史や人物をテーマとした謎を設定できるため、楽しみながら開催地について学んでもらうことができます

⇒戦国宝探しの資料を受け取る

チャンバラ合戦

チャンバラ合戦とは、スポンジでできたオリジナルの刀を利き腕に持ち、反対の腕に装着した「命」と呼ばれるボールを落とし合うアクティビティです。地域で行われた歴史的な合戦や武将をストーリーに絡めて実施すれば、地元への親しみが増すでしょう

⇒チャンバラ合戦の資料を受け取る

戦国ワークショップ

「戦国ワークショップ」とは、戦国気分を味わえるオリジナルワークショップです全10種類以上のコンテンツを有し、開催条件や目的に合わせ自由にお選びいただけます。お子様が夢中になって楽しめるものから、大人も一緒にじっくりと作業ができるものまで、さまざまなワークショップがあります。

⇒戦国ワークショップの資料を受け取る

合戦フェス

「合戦フェス」は、親子で1日中楽しめる戦国イベントをプロデュースするサービスです。体験型アクティビティやステージショー、フードなど、イベントをトータルで任せることができます。Webやポスティングなどを使った集客支援も行うため、手間をかけずに盛り上がる戦国イベントを実施したい方におすすめです。

⇒「合戦フェス」の資料を受け取る

まとめ

豊臣秀長は、兄・秀吉の天下統一を陰で支えた人物です。戦場だけでなく、行政、外交においても手腕を発揮し、豊臣政権に大きく貢献しました。

近年では、こうした秀長の魅力に光を当てる動きが広がりつつあります。この記事を参考に、秀長に関わりのある物語・場所・イベントなどに触れてみてはいかがでしょうか。

よく読まれてる記事
ページTOPへ