[2018_0701更新]
こんにちは、NPO法人ゼロワン大阪の山口です!
いよいよ今週末になりました朝来市和田山で行われる
「わだやま竹田 お城まつり」が近づいてきました。
雨で桜が残っているかが気がかりですが、当日が今から楽しみで仕方ありません!
- 目次 -
知っている!?竹田城の歴史
ここ数年国内だけでなく海外からも人気を集める竹田城。
お城まつりでのチャンバラ合戦はその竹田城の城下町で開催されます!
竹田城といえば、みなさん雲海の中に浮かぶ幻想的な城跡が思い浮かぶと思いますが、
ではここ竹田城の歴史についてご存知の方ってどれくらいおられるでしょうか??
かく言うワタクシも、恥ずかしながら歴史については全く存じ上げていない者の1人でした・・・。
せっかく開催させていただくのであれば、歴史についても理解したうえでチャンバラ合戦に臨みたい!ていうか、皆さんと共有して体験したい!と思いたち、今回のブログでは開催前に歴史のお勉強をさせてもらいたいと思います!
「歴史の勉強」と聞くと拒絶反応を起こしてしまうアナタ!
ご安心を。ワタクシも歴史のテストは酷いもんだった人間です。そんなワタクシなりに、とてもわかり易くお伝えしたいと思いますので、ぜひご一読ください◎
今の朝来市って、当時どうなっていたの?
まず、地図から見ていきましょう。今の兵庫県は戦国時代はいくつかの国に分かれていました。「但馬国」「播磨国」の名前を聞いたことありませんか?この二国、戦国の世では大きな領土を持つ巨大勢力の一つでした。
朝来市はちょうどその境に位置する但馬国の領地内にありました。
攻防の要!竹田城
戦国の世、戦乱が頻繁に起こる時代。但馬国にとって、隣接する播磨国や丹波国への攻防の要として、竹田城があったのです。
竹田城が担う役割の大きさ、ご理解いただけたでしょうか!?
事実、但馬国の領主・山名氏と播磨国の領主・赤松氏は度々戦闘を繰り返していました。その時の拠点となっていたのが、竹田城と言うわけです。
二国間の争いに終焉!外敵の出現
攻めつ攻められつの関係だったこの二国の争いに、終わりの時がきます。
決め手となったのは天下統一を目指す織田軍率いる羽柴秀吉でした。
竹田城を攻め落とし、城主・山名氏を追放してしまったのです。
反撃にでるも、見事に撃沈
一度追放された山名氏ですが、織田の配下に加わることで、再び竹田城主として復帰をします。
が、やはりやられた方は胸クソがわるい。
山名氏は羽柴秀吉に一矢報いようと毛利氏と手を組み攻撃を行います!
しかしながら、やはりイケイケの織田軍・羽柴秀吉。攻撃をものともせず山名氏と毛利氏を返り討ちにしてしまいます。反逆に出た山名氏は今度こそ本当に追放されてしまい、竹田城は巡り巡って秀吉に投降していた赤松広秀のものとなったのです。
赤松広秀という漢の正体
こう聞くと赤松広秀というこの男、おこぼれで竹田城を手にした大したことない人物に思ってしまうかもしれません。
ところがこの男、なかなかの手腕の持ち主なのです!
何を隠そう今ある立派な石垣を組み城を建てたのはこの人!
さらに戦績も優秀で、主な実績としてはこのようなものがあります。
これら大きな手柄を残し、実力を発揮していきます。すごいぞ広秀!!
広秀の汚点…関ヶ原の戦い
イケイケな赤松広秀でしたが、肝心な場面でチャンスを逃してしまいます。
それは、誰もが知っている関ヶ原の合戦!!
彼はこの時、関ヶ原の合戦の一環と言われる田辺城の戦いに参戦していましたが、
本戦で自軍の西軍が敗退してしまいます。彼も同様に敗戦者となってしまったのです。。
もう一人の失態者、亀井茲矩の影
他方、関ヶ原の合戦で同じくいい思いのできなかった人物がもう一人。
亀井茲矩(これのり)です。
彼は勝者東軍に所属していたものの、関ヶ原の合戦においてそのミッションは毛利軍の監視役。
歴史好きの人はご存知かと思いますが、この毛利軍、関ヶ原の合戦では戦場で最後まで参戦をしてこなかったことで有名です。つまり亀井茲矩は、大舞台の戦線にいながら手柄を上げることができなかった悲しい人物なのです。
コレかなり悲しいことです。この時代に2ちゃんねるがあれば、こんなスレたてちゃったんじゃないでしょうか・・・
手柄をあげるチャンス到来!
そんな悲しい亀井茲矩ですが、一発逆転のチャンスがやってきます!
徳川家康から一報が入ります。
キターーーーーー!!ワンチャンあるぞコレ!!!!
気合をいれて意気揚々と鳥取城を攻めにいく亀井茲矩ですが、
困ったことに鳥取城の守備はめちゃくちゃ硬い。攻めても攻めても攻めきれません。
まさにディフェンスに定評のある池上!彼の目に鳥取城はそんな風に見えていた可能性が(ない)。
援軍・赤松広秀を呼ぶ
困った亀井茲矩は援軍を呼ぶことを決意します。
〜 ピロン♪ 〜
この時に白羽の矢がたったのが、竹田城主の赤松広秀です。
敗者となってしまった赤松広秀にとっても、これは大きなワンチャン!
〜 ピロン♪ 〜
西軍を裏切り、ノリノリで承諾して鳥取城攻めに参戦することになります。
2人による鳥取城攻め・その結果
イケイケコンビが結成され、乗りに乗った彼らの取った戦法は鳥取城下の焼き討ち!
卑怯にも聞こえますが、焼き討ちはこの時代の一つの戦法でした。
しかし、乗りに乗っている2人、勢い余って少々焼きすぎてしまったのです。。
この行き過ぎた行為が徳川家康の逆鱗に触れます。
〜 ピロン♪ 〜
やばい、めっちゃ怒ってる・・・タダ事では済みそうにない予感。
どうしようどうしようと焦る赤松広秀に、さらなる追い打ちが飛びかかります。
〜 ピロン♪ 〜
亀井茲矩は責任を赤松広秀1人に押し付けてきます。
ちょい待てよ!となる事態となってしまった赤松氏ですが、
結果、1人責任を負わされ自害させられてしまったのです・・・
赤松氏が自害し城主を失った竹田城ですが、この後徳川家康の定めた一国一城の制度により廃城となってしまうのです。
そして時が経ち、現在、私たちが見る竹田城跡の姿へとなっていったのでした。
いまの美しい姿からは想像もつかないほど、城主たちの悲しいエピソードが詰まった竹田城の歴史。
歴史を知ってから見ると、また違った見え方がしてくるものですね!自分でもとても勉強になりました!(※注意:諸説あり、ここでの紹介はその一説をとってご紹介いたしました)
竹田城下でチャンバラ合戦が行われました
そんな由緒正しき場所で竹田市とのコラボレーション企画が行われました。
チャンバラ合戦 天空の乱:https://www.youtube.com/watch?v=W8DrVEQDG_Q
こちらはもともと竹田城には大勢の観光客がいらっしゃっているのに、その周辺の街には恩恵が少ないこと。竹田城とその城下町を知ってほしいというところからご依頼をいただきました。実はこのように全国の城跡やお城より私たちは多くのオファーをいただいております。最後にそちらをご紹介させていただきます。
城跡活用事業におけるチャンバラ合戦
⑴戦国城跡巡り事業「可児市の乱」
公式WEBサイト:http://kani-sengoku.jp/
公式PV:http://kani-sengoku.jp/movie/
ポイント
可児市には多くの山城があり、「可児市の乱」は年間を通して20回以上チャンバラ合戦の開催を行い、1万人の侍を誕生させようというビックプロジェクトでございました。市民参加型で山城の付近でイベントを開催することにより、可児市の歴史や山城を知ってもらうきっかけを作ろうという目的で始まりました。結果今では多くの県内外のファンを獲得しています。
⑵杉山城攻防戦
WEBサイト:http://www.town.ranzan.saitama.jp/0000003265.html
ポイント
嵐山町様からのオファーにより実際の山城である国指定史跡「杉山城跡」(所在地:埼玉県比企郡嵐山町)を活用しての市民参加型のチャンバラ合戦を開催いたしました。山城ならでは高低差や攻めにくさを体感していただき、地域への関心やアクティビティを楽しんでいただく企画を行いました。
全国の自治体のみなさま、是非その山城やお城をご活用ください!
全国津々浦々に眠る山城やお城は数百をくだりません。それぞれ地元のボランティアや自治体の方がメンテナンスしていらっしゃるところも多く、大変素晴らしいものだと感じます。ただ、そうした資産は実際のところ、今後伝えたいお子様やファミリー、県外の方に知らせることが難しいと伺いました。
私たちは是非そういったところでチャンバラ合戦をはじめとしたイベントを開催させていただき、地域のルーツを元にしたイベントを企画、盛り上がりとともに、地域を知るきっかけになればと考えています。少しでもご興味があれば是非お問い合わせくださいませ!チャンバラ合戦以外にも下記のようなコンテンツをご用意しております。
チャンバラ合戦-戦IKUSA-のお問い合わせはこちらチャンバラ合戦-戦IKUSA-の資料ダウンロードはこちら
忍者もあるよ!忍者合戦-SHINOBI-の資料ダウンロードはこちら
夏は水鉄砲を使ったお祭り!水合戦-WaterBattle-の資料ダウンロードはこちら水合戦-WaterBattle-公式サイトはこちら
それではまた!