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戦国武将の戦略・生い立ちをビジネスに置き換えて紹介

2020.3.19 戦国

歴史の授業で、戦国武将について学んだ人も多いでしょう。数百年前までは、日本の各地で戦が行われていました。戦い方や生活スタイルは武将によってさまざまで、それらの中には、現代のビジネスに活かせるものもあります。今回は、戦国武将の戦略や生い立ちをビジネスに置き換えながら紹介します。

織田信長

織田信長は、1534年に尾張で生まれました。1560年には「桶狭間の戦い」で、今川義元が率いる大軍に奇襲攻撃をしかけ、勝利しました。その後も、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)を家来にし、「天下統一」を目指して各地を攻めます。
しかし、1582年に家臣の明智光秀が起こした謀反により、本能寺で織田信長は自害します。享年49歳でした。

自ら最前線に立って戦った

織田信長は多くの場面で、総大将でありながら自ら最前線に立って戦っていたと言われています。
ビジネスにおいても、自分がプレイヤーとして動きながら見本を見せれば、説得力が高まって、指導しやすくなるかもしれません。キャリアを重ねても、プレイヤー目線を持ち続けることが大事です。

人材配置に優れていた

家来をどこに配置すべきか、人を見極める能力も非常に高かったと言われています。
ビジネスにおいても、肩書にとらわれず、その人の性格を見極めながら役割分担することは大事です。誰が組織のメンバーになるかで、組織の雰囲気や生産性が変わるからです。組織に適している人が所属してはじめて組織は回るため、適材適所を考えた上で、人員を配置しましょう。

豊臣秀吉

豊臣秀吉は元々下級武士でしたが、最終的に天下統一を実現した武将です。天下統一を実現できた理由はさまざまですが、豊臣秀吉には、以下のような能力があったと言われています。

敵に攻め込まずに戦いに勝った

織田信長の仇を討った「天王山の戦い」で、豊臣秀吉はあえて敵である明智軍が逃げられる道を作りました。その結果、抵抗の意思を削がれた明智軍は逃走し、軍は崩壊しました。一方、秀吉軍は余計な労力を使わずに、戦いに勝つことができたのですビジネスでも、同じようなパターンはあります。積極的な営業に対して、居心地悪く感じる人もいるため、「自分から営業をせず、相手から声がかかるのを待つ」、「自分からはビジネスの話をしない」といった、自分から攻め込まないスタイルが効果的なケースもあるでしょう。

外交能力に長けていた

豊臣秀吉は外交能力にも長けており、「小牧・長久手の戦い」では武力を行使せずに、交渉術を駆使して自軍に有利な状況を作りました。このような外交能力は、ビジネスにおいても不可欠です。
商談や業務のやり取り、業務内容を指示する時など、いろいろな場面で必要です。外交能力が高ければ人との関係性を築きやすくなり、ビジネスの発展につながることもあります。よって、人と接する機会が少ない人も磨いた方が良いスキルと言えるでしょう。

人の心を掌握する能力に長けていた

類まれなる「人たらし」として知られている豊臣秀吉。天下統一ができたのも、兵士や家臣たちとの関わり方が上手かったからかもしれません。織田信長に気に入ってもらえたのも、このスキルがあったからだと言えるでしょう。仕事においても「人たらし」であることは大事です。一緒に仕事をしたい人の心を掴むことができれば、大量の仕事を回してもらえるかもしれません。

徳川家康

徳川家康は、1600年の「関ヶ原の戦い」で石田三成率いる西軍に勝利した後、江戸幕府を開いた将軍です。260年以上続いた江戸幕府の初代将軍となった徳川家康には、以下のような能力があったと言われています。

忍耐力に長けていた

徳川家康は忍耐力に長けていて、天下を掌握するチャンスを辛抱強く待ち続けたと言われています。「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」という言葉の通り、我慢強い将軍でした。ビジネスでも、忍耐力が求められる場面はあります。「部下に口出しせずに業務を見守る」、「苦手な業務でも、次の仕事へつなげるために取り組む」といったように、事業を継続するためにも忍耐力は大事だと言えます。

狡猾であった

狡猾であった点も一つの特徴です。たとえば、豊臣家と表面上は和陸しながらも、その陰で大坂城の総堀を埋め、翌年の夏の陣で豊臣家を滅ぼしました。やっていることを卑劣に感じる人もいるでしょう。しかし「狡猾である」というのは、「立ち回りがうまい」と言い換えることもできます。ビジネスのシーンでは、状況に合わせた適切な判断を下すことも重要な要素と言えます。特に経営者の立場であれば、自社の利益を最大化するために常に社会情勢をとらえ、どのような行動をすべきかを考えていく必要があります。

自分が生き残るために、手段を選ばずに行動した

生き残りをかけて、手段を選ばずに行動したのも特徴です。天下統一を果たすために、時には義理人情や恥も捨ててしぶとく生きたと言われています。手段を選ばずに行動するのは、ビジネスにおいても大事です
ライフスタイルや時代背景によって、やるべきことは変わります。しかも、現代は時代の流れは早いです。そのため、手段を選ばずに行動できる人の方が現代社会には適応できるのかもしれません。

伊達政宗

伊達政宗は東北の武将で、難攻不落の名城「仙台城」を築城した人物としても知られています。現在の仙台城跡には、馬に乗った伊達政宗の像が建っています。片目を失明していたことから「独眼竜」の異名で知られ、戦国大名の中でもとくに有名な武将と言えるでしょう。

謝り上手だった

伊達政宗と言えば、戦に遅参したことを謝るために、豊臣秀吉のもとに「白装束」を着て現れたエピソードが有名ですね。その他にも伊達政宗は数々の反乱を起こし、そのたびに死罪に問われそうになります。しかし、謝り上手だった伊達政宗は、お咎めなしのケースが多かったと言われています。ビジネスでも、ミスをしたりアクシデントに見舞われたりして、謝ることはあります。ミスを許してもらえるか、許してもらえないかで、その後のビジネスに大きく影響します。ビジネスを継続するためにも、自分の失敗をごまかさず素直に謝るスキルは必要です。

手紙をまめに書いていた

政宗は「筆まめ」としても知られており、家族はもちろん家臣や大名に対しても手紙をまめに書いていました。また、戦国武将としては珍しく「直筆」の手紙にこだわっていました。

心のこもった手紙はビジネスでも有効です。メールや電話でのやり取りが主流の現代ですが、手紙を送って相手に喜んでもらえれば、関係性の向上につながるかもしれません。

真田幸村

生年月日など不明な点が多いため、謎に包まれた戦国武将としても知られる真田幸村。若い時は、上杉景勝や豊臣秀吉の元で人質としての生活を送っていました。しかし、「大坂の陣」では徳川家康を追い込むなど、活躍した戦国武将の1人です。

借金をしたり、酒をせびったりしていた

父とともに九度山に幽閉されていた頃の真田幸村は、今で言う「自堕落な生活」を送っていたと言われています。多額の借金があったり、兄である真田信之に宛てた手紙に「焼酎を持ってきてくれ」と書いたりしたエピソードは有名です。そのため、悪い噂が広まることもあったそうです。しかし、言い換えれば人に助けてもらうことが上手いということです。
ビジネスでは、1人では対処できないことも多々あります。そのような時には、人に助けてもらうことが必要です。助けてもらえれば、ピンチを乗り越えられるかもしれません。
「〇〇ってどうすべきですかね?」、「〇〇を解決するにはどうしたらいいでしょうか?」といったように、気軽に人の助けを求めることができれば、もっとラクにビジネスを進められるかもしれません。

温和な性格で人との関わり方が上手だった

『幸村君伝記』には、真田幸村は温和な性格で、怒ることはあまりなかったと記されています。大坂の陣でも、全国から集まった浪人たちの話を聞き、軍をうまくまとめあげました。「怒る」という行為はプラスの効果を生み出しにくいものです。物腰柔らかな姿勢で人々をまとめ上げた幸村の姿勢は、見習うべき点があるのではないでしょうか。

ちなみに、幸村はその温和な性格とは裏腹に、戦では鬼のような性格で敵を倒していったといわれています。普段は温和だけれど、いざとなれば最前線で戦う。そのようなギャップもまた、多くの人に慕われた幸村の魅力の一つと言えます。

まとめ

戦国武将の戦い方や生活スタイルをビジネスに活かすことで、事業の財政状況や経営成績が良くなるかもしれません。何を意識しながら仕事に励むかで、成果は変わります。今回紹介した内容の中から自分が意識したいことを選んで、ビジネスに取り入れてみてください。

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