はじめまして!ゼロワンメンバーの中野谷(なかのや)です!
戦ブログ初チャレンジ!!
記念すべき第1回は(1回しか書かないけどね!)美大出身の私が少々かじっております
陶芸ネタから『茶器』について書いてみようと思いますー。
さてさて皆さま、突然ですが・・・
今日使った『器』はどんなものだったでしょうか?
その素材は?色は?形は…??
器好きの私でさえ、何を使ったか(今朝、ユニ◯ロ景品カップ使ったなんて言えないw)記憶があやふやな日があります。。
私たちは普段、お皿やカップを無意識に利用するだけで、ただ器としての機能しか求めてないのではないでしょうか?
しかし、昔の日本では『器』が黄金以上の価値を持っていた時代がありました。
そう、それは戦国時代であります!!
器が国を揺るがす程の価値を持っていた時代。
今回はそんな戦国時代の器…『茶器』についてフォーカスしてみたいと思いますー。
- 目次 -
器(陶磁器)の普及
現代では陶磁器以外にも紙やプラスチックなど、様々な素材の器が出回っていますね。
戦国時代の主な器には、朱塗りや黒塗りの「塗り物」の器、素焼きのかわやけの器、中国から伝来した青磁白磁の「磁器」、瀬戸、備前、信楽、常滑の素朴な「陶器」などがあります。
↑どうでもいいけど、素焼き皿ってサクサクしてて、何故かちょっと美味しそう( ̄∀ ̄)
ただし、陶磁器製の器が庶民に浸透したのは江戸中期以降のこと。
それまでは特権階級だけが使用できる高級品であり、下級武士や雑兵、農民などが使用できたのは粗末な木の椀や植物の葉だったそうです。
ほえー。。∑(゚Д゚)
現代では天然の木や葉の器のほうが高価そうですが、昔は完全に逆だったんですねー。
茶器の価値は誰が決めたの?
今から約450年前、厳しい下克上の時はまさに戦国。
織田信長が天下統一に王手をかけ、戦線が拡大していた頃。
戦国大名は戦に勝って相手の領地を攻め落とすと、配下の武将たちに「恩賞」としてその領地などを分け与えます。
しかし合戦が激化してくると、分け与える領地や黄金のような実物資産が不足していきます。
そこで信長は当時流行した「茶道」、「茶の湯」を政治的に活用 し、家臣掌握の手段とします。
また、領地に代わる褒美として『茶器』を利用するのです。
ではどんな茶器が価値があったのか…?
←知る人ぞ知る…おしゅし!!
それは信長が「価値がある!」と謳ったもの。
要するに財政難打破のため、信長は
「茶道を嗜む武将は高尚であり、俺の家臣で教養のあるお前達なら『茶器』の価値くらい分かるだろ??」
的なゴリ推し茶器ブランディングを展開していくんですね。
されど信長、馬鹿じゃあありませんw
戦の恩賞に茶器を与えれば「信長公に認められた」という証となり、武将にとって充分に価値があります。
信長はそこへさらに権威と箔をつけるべく、茶道の大家、千利休をバシバシ利用します。
茶道の大家であり元締めである利休に器を鑑定させ、たった一言「これは大変価値がある」と明言させる。
利休の放つ一言で途端に茶器たちは、莫大な価値を持ちはじめるんですね。
まぁ要は言ったもん勝ちw
…おやおや?
言ったもん勝ちならば、ゼロワン内の財政も日本酒酒店の御子息、池嶋氏を巧く利用すれば、そのうち日本酒の王冠とかに取って代われるやも。
(いいこと思い付いたな私w)
■補足↓↓
『・・・ん?お前らなら王冠の価値くらいわかるやんなぁ?』
…はっ!!どこからともなく聞き覚えのある声が。。。!!
『1年の活動は王冠3つに値するっ!!』
by池嶋
キターーー!!
ゼロワン内財政掌握!!(`ω´)グフフ
ほれ!大阪代表がいってるでしょーがぁぁw
…っと本題に戻して、
みんな信長に取り入るべく、こぞって「茶道は素晴らしい」「茶器は唯一無二の資産」という価値観を共同幻想化していきます。
信長「な、利休。この茶器めーーっちゃんこ価値あるよな??」(´・ω・`)
↓
利休「えぇ、一国に値するほどの逸品にございます。」ヽ(*´∀`)しれっ
↓
信長「おい、お前!この茶器を褒美にくれてやるぞ。一国相当だおっ!」o(`ω´ )o
↓
臣下「一国相当!?ありがたぁーきしあわしぇぇっっ!!」(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
↓
周囲「いいなー。。我々も手柄を立てて茶器をもらっちゃおうYO!!」ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
信長は当時の○通か博○堂か…?
こうして昨日まで二束三文だった茶器(王冠)たちは、信長(私)の意向と利休(池嶋氏)の一声で「国ひとつ分の恩賞」として充分な価値を帯びていくのですw
みんな茶器にご執心
さて、財政難打破のため茶道を最大限利用して一大茶器ブームを起こした信長。
このブームは信長が本能寺にて没した後も、豊臣家、徳川家によって引き継がれます。
特に秀吉は、この信長の作った共同幻想システムを発展させ、茶道をさらに大きく広めていきました。
茶道の価値が上がるほど、茶道の大家であり元締めである千利休を牛耳る秀吉は、利休を利用し『価値ある茶器』を生み出し続けて「ボロ儲け」できるという仕組みですねw
ボロ儲け!!・:*+.\(( °ω° ))/.:+
池嶋氏、王冠のブランディング早よっ!
これらは後々、利休が切腹させられた原因にも繋がりますが、話が逸れるのでそれはまた別の機会に…。
(1回しか書かないから続きは無いけどね!)
では実際に、三大名器と呼ばれた器『天下の三肩衝(かたつき)』を例に、器と武将との繋がりをチラリと覗いてみましょうー。
天下の三肩衝とは
「初花(はつはな)」「新田(にった)」「楢柴(ならしば)」
この3つの茶器で、茶入れのことを指します。
※肩衝の名前の由来は、茶器のそのフォルムが肩を突き出しているように見えることからだそう
国取りでも名器狩りでも王手まであと一歩と、その名を上げていた信長。
「初花」も「新田」も手中に収め、残るは「楢柴」のみ…
そう、この茶器のコンプを強く所望したのは他ならぬ信長でした。
「楢柴肩衝」とは当時「初花肩衝」や「新田肩衝」に並ぶ肩衝と評価されており、信長は「楢柴」を所持していた島井宗室に対し、同家保護と引換えに献上を要求。宗室はこれを承諾します。
しかし信長、目前に迫った名器獲得に心はウキウキ。
器に気を取られ、茶会を開くべく手薄で本能寺入りしたことが仇となります。
これは天正10年(1582年)6月1日、本能寺の変の前日のこと。
翌日、明智光秀に謀反を起こされ、天下統一の志半ばにして信長は本能寺に散ってしまいます。 。。
無論、三大肩衝のコンプもならず…
その後「初花」「新田」の肩衝と共に信長の跡を継いで勢力を拡大していった秀吉。
そして秀吉が九州征伐の際、秋月種実より(本能寺の変以降、宗室が秋月氏に献上していた)
「楢柴」を献上されたことで、秀吉の手元に天下の三肩衝が揃うことになります。
秀吉、親方悲願の三大肩衝を初コーーンプッッ!!←雑w
そして秀吉の没後、三大肩衝は家康の元へと渡ります。
家康も色々あるけど、まぁほぼ棚ぼたでコーンプッ!←雑www
詳しく知りたい奴はググってくれぃ( ´∀`)
図解引用元:>HatenaBlogブログ
足利義政が世に広め、千利休が極めたものが茶道ですが、戦国時代では名を持った武将はまた、同様に優れた茶人でもありました。
茶道は当時の社交の場でもあり、上手い人も下手な人も垣根無く、茶を通してコミニュケーションを図っていたようです。
現代で言えばゴルフとかカラオケのようなものですね。
やはりその道に精通すると歳月を要してでも良い『道具』を揃えたくなるものなんでしょうか。
昔、その道に精通していない前相方にスリクソンのゴルフフルセット20万越買わされたなぁ…w
信長のみならず、首の代わりに茶器を渡すことで命拾いしたり、どうしても譲れない茶器もろとも自爆を選んだ武将もいた戦国。
天下の三肩衝はそんな時代に武将たちを強く魅了した名茶器でもあります。
戦国時代の茶器には、未だに数億、数十億の価値が残るものが多く、5〜6年前の某鑑定番組では、利休作の茶杓にさえ2億の値段が付いたそうな…
( ̄◇ ̄;)高っ!!
何故、戦国武将たちは茶器や茶の湯、茶道にのめり込んだのか。
価値の高い茶器を持っていれば、権力者に近付く(茶席に着く)ことができたから…
ってだけでは、どうやら無さそうです。
近年、お茶に含まれるカテキンには心身の鎮静作用やリフレッシュ効果があると解明されています。
戦国の世に生きる武将たちが茶の湯を愛したのには、茶の湯に親しみ日々の喧騒を忘れることで、束の間の安寧に癒しを求めていたからなのかもしれませんね。
「茶の湯」「茶道」と文字使いが揺らいでるとお怒りのデバッグ好きのアナタ!
両者の違いは こちらから。
いやはや、茶器をはじめ茶道、茶の湯の価値や魅力の凄まじさたるや想像を絶するところ。
まさにプライスレス!!(@_@;)
そういえば余談ですが、少し前にzozotownの前澤社長が、バスキアの絵画を123億円で競り落としたと話題になりましたねー。
バスキアの作品は個人的に大好きですが、一般的に見れば陶器や絵画など、芸術はただの嗜好品。
「ただの落書きやん!これが123億!?」という感情は無きにしもあらず。。
戦国の茶器の価値を庶民感覚で置き換えるなら、こんな感じなんでしょうか?
– あとがき –
現代でいう紙幣が、ただの紙切れではなく国家が強制通用力を付与し価値を持つのと同様に、
戦国時代、武将たちにとって茶器は黄金以上の「城ひとつと同価値」なものでありました。
↑ちょっとコムズカシク書いてみたw ٩( ᐛ )و
仕掛け人の思惑はさておき、当時の茶器には用途以外に、今の私たちには考えられないほどの資産価値が付与されていたわけですね。
けれど、器はやはり純粋に陶磁器や木の表情などが味わい深いのもまた事実。
趣味のいい器は料理を引き立てたり、憩いのひと時をより和やかに演出してくれたりします。
たとえばこのような感じに…
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黄金や一国相当とまでとはいきませんが、ただ何気なく使う器にも、こうしてちょっと想いを馳せてみれば、用途以上の価値を見出せるかもしれません。
現代に生きる私たちも、器を使うという日常の何気ないルーティンの中で、戦国武将たちがまどろんだ贅沢で感慨深い時間を共有できれば素敵ですね!(*^ω^*)